中国の茶文化

一つ、茶の木の韓国自生説
茶の歴史が最も古い中国では、かつてから水が濁り、ホコリが多かったため、茶とともに暮らしてきた。中国の茶文化を表現するものとして、「茶・嬢・葉・飯・茶」がある。 すなわち、目覚めると同時に茶を飲み、食事の際にも飲み、また茶を飲んでから食事する、いわば茶を飲むことを繰り返すという意味である。中国人にとって茶は日常的必需品といえるほど、常に食べ物と茶を同様に取り扱ってきた。

毛沢東が好んで飲んだ大紅袍

中国の歴代皇帝たちは茶をよく飲んだ。何故なら、名茶には人体に有効な成分を豊富に含むという事実を知っていたためである。
中国の皇帝たちが飲んだ名茶のうちで代表的なものが「大紅袍」である。これは現代に入り、毛沢東と政府高官、国賓級の外国の来賓のみが味わえる貴重な茶で、毛沢東が晩年まで脳血管が健康であった秘訣が「大紅袍」だという説もある。年間1kgにも及ばない大紅袍の茶の木は、人間が容易に近付けない岩壁に位置するため、猿に赤い服を着せて果実を食べさせ満腹にした後に茶の葉を摘ませたため「大紅袍」という伝説が伝わる。

日本の茶文化

日本の茶道は一定の作法を身につけて、主人と客人が共感しながら茶をいただく教養的なもので、16世紀後半に、茶聖「千利休」により大成した。礼儀正しく、繊細な美意識を持つ日本人にとって、茶は礼という美学となり、ついに審美的な宗教、即ち「道」となる。日本の茶道は「和敬清寂」に表現される。和は心の穏和さを、敬は相手を恭敬することを、清は心が美しく落ち着く様子を、寂は満たされた心を意味する。

ヨーロッパの茶文化

英国人が茶を受け入れた時期は1630年代半ばで、オランダを通して伝わった。比較的遅くに伝わったが、素晴らしい茶文化を開花させた。英国人は「ブレックファースト・ティー」に始まり、軽い食べ物とともに楽しむ「午後の紅茶」、そして仕事を終えて帰った夜にも食事とともにお茶を楽しむなど、普通1日に4~5杯の茶を飲む。18世紀後半から19世紀には、全般的に庭園でのティーパーティー、舞踏会などでの茶会が流行した。