宮中茶礼

宮中茶礼

韓国に茶文化が定着した時代は三国時代だ。『三国遺史』の<駕洛国記>には宮殿で果実とともにお茶で祭事を催した記録があり、宮殿でお茶を使った祭事が長い間行われてきたことが分かる。 新羅の茶生活が高麗時代(918-1392)にまで続き、仏教文化の燦爛とした発展とともに益々広がり、王室及び文人そして僧侶など貴族層にお茶が広く受け入れられた。国家礼式が体系化し、お茶を加えた儀式や、茶房のようなお茶を専門とする機関が定着した。仏教儀式はもちろん、他の全ての国家行事にも‘進茶礼式’が必ず行われ、お茶を捧げて接待する礼節と礼式は、嘉礼、賓礼儀式の重要なものとなった。 高麗時代の国教である仏教の行事、燃灯会と八閑会は王にお茶を捧げる進茶礼式を兼ねる行事として、その時代の大規模な国家的行事であった。

接待茶礼

仏教、国家儀式の外にも私達がお茶を勧めあいながら飲む、接待茶礼の礼節を『高麗史礼志』で見ることができます。嘉礼儀式は、その時代のすべての人が参加する行事で、そういう行事儀式がお茶の礼式の民俗化と礼俗化に役に立ったといえる。

生活茶礼

高麗時代に宮中や寺院のみならず、お茶が一般の市民生活に定着し、庶民が茶店という所を利用してお茶を売買し、、又お茶を飲んだ。庶民社会に茶文化が普遍化したことが『高麗図経』でも見当たる。 高麗時代のお茶の風習は朝鮮時代へ引き継がれ、その時代の新興階級に属する文人層の生活でお茶が愛好されていたのが分かる。お茶を取り入れた国家の礼式と礼節は、儒教の影響を受け『国朝五礼儀』という体制によりさらに礼俗化され、格式化された。