我が河東郡は、

辰国時代には多沙村と呼ばれ、弁韓時代には弁韓12国の一つである楽奴国に属していた。三国史記の記録では本来韓多沙郡であったが、景徳王16年(757年)に河東郡に改称された。

以来、高麗時代には河東県とされたが、朝鮮太宗14年(1414年)に南海県を合わせて河南県となった。

  • 時代
    • 三韓時代弁韓12国の中の一つである楽奴国に属した。
    • 三国時代多沙城、または多沙郡と呼ばれた。
    • 統一新羅時代新羅時代の新聞王5年(585年)に韓多沙郡となり、統一新羅時の代景徳王16年(757年)河東郡に改称された。
    • 高麗時代河東県と呼ばれ、晋州牧に属した。
    • 朝鮮時代粛宗30年(1704年)には、河東都護府に昇格され、都護府使を置いており、1895年には晋州府河東郡となった。
  • 現代
    • 1895.05.26勅令第98号により、23府制の実施により晋州府河東郡となる。
    • 1906.01.19晋州郡青岩面、玉宗面を編入
    • 1915.01.01府令第175号により、全南光陽郡多鴨面蟾津里の一部を編入
    • 1933.01.01金陽面の一部及び南面を統合して金南面と改称
    • 1938.10.01府令第197号により、河東面が河東邑に昇格され1邑11面となる。
    • 1955.07.01法令第360号により、玉宗面元溪里を晋陽郡に編入
    • 1966.05.12郡条例第100号により、花開面新興支所が設置され1邑11面1支所となる。
    • 1969.10.02郡条例第156号により、青岩面葦台支所が設置され1邑11面2支所となる
    • 1983.02.15大統領令第11027号により、玉宗面中台里を山清郡矢川面に編入
    • 1986.01.13郡条例第957号により、金南面葛四支所が設置され1邑11面3支所となる。
    • 1989.01.01郡条例第1053号により、金南面述上里を辰橋面に編入
    • 1989.04.01郡条例第1076号により、金南面葛四支所が金城面に昇格し、1邑12面2支所となる。
    • 1996.03.12郡条例第1418号により、 花開面新興支所が廃止され1邑12面1支所となる。
    • 1998.09.04郡条例第1494号により、 青岩面葦台支所が廃止され1邑12面となる。
    • 12002.12.18郡条例第1632号により、 青岩面葦台里、弓項里、檜信里を玉宗面に編入