Dayeonwon, a tea room at a temple built in the Silla period.

Dayeonwon, a tea room at a temple built in the Silla period

茶淵院は慶州南山の昌林寺にあった新羅時代の寺院茶室である。『三国遺史』の記録によると、昌林寺は新羅の始祖、朴赫居世(パクヒョクコセェ)の昔の宮殿の跡だったものとされる。又、新羅の僧侶金生が昌林寺の碑文を書いたという記録からすると、8世紀の初めに創建された寺院であることが分かる。以上の記録を総合すると、昌林寺は昔の王宮の跡に寺を建て、先王を奉安して祈願する王の寺院であり、茶淵院は国王が休みながら祈祷できる客室と同じ役割をした所と推測できる。

高麗の茶室は楼閣と茶軒

茶文化が盛んだった高麗時代は、大自然の中の楼閣や東屋、或は草堂などでお茶を飲んだ。僧侶は竹森、松の下や石の上に座り、お茶を楽しんだり、茶軒というお茶を飲む家を建てることもあった。楼閣と東屋は山勢の良い所に四方を見渡せるように建てられた家で、室内と室外の区分が無く、広々と開けているのが特異だ。楼閣はだいたい2階建てで、東屋は部屋があるものもあった。又、堂などでもお茶を楽しんだ。

Tea houses and tea rooms of Joseon Dynasty

朝鮮時代には僧侶だけでなく、文人も山林に留まり、貧しいうちにも天道を楽しみながらお茶を楽しんだ。平壌(ピョンヤン)の大同川辺の万景楼には茶火鉢が残っている。又、平安南道安州市にある百祥楼でもお茶を楽しんだという記録が残っている。朝鮮時代の文人がお茶を楽しんでいた家や茶室はだいたい質素なものだった。

茶屋とは、申緯(シンイ)が自分のあばら屋を茶屋と呼んだことに由来する言葉で、お茶を飲む家を意味し、大抵チガヤ、葦、ワラなどで屋根を葺いた家であった。当時茶室の名前としては、秋史(チュサ)が書いた『竹炉之室』以外に、草衣禅師が晩年を過ごした‘一炉香室’、申緯(シンウィ)が『草衣集』の序文に書いた禅院の名前である‘茶半香初之室’などがあった。

Tea houses and tea rooms of Joseon Dynasty

現代の茶室造り

本人の好みによって、こぢんまりした心がなごむ、暖かく感じられる部屋作りが基本要素である。部屋の大きさも決められたものはないが、大体、5人が座れるくらいの空間があれば十分で、茶室の内部はお茶と関連したいくつかの小物で装飾し、素敵な感じをかもし出す。お茶を飲む時は適当な大きさのゴザや竹むしろ、座布団を用意する。