花開茶所と野生茶

Hwagae Daso(tea place) and wild tea

150年前(1837年年)草衣禅師は『東茶頌(トンダソン)』で“智異山花開洞には茶樹が40~50里に広がっているが、韓国で茶畑がこれより広い所は無い”と述べている。花開には昔からお茶を入れて捧げる茶所があった。‘ソ(所)'はその地方の特別な郷土産品(金、銀、銅、鉄、紙、瓦、塩、陶磁器など)を生産していた所である。

花開の野生茶畑は日本統治時代(日帝時代)の乱伐、この地域で深刻だった朝鮮戦争(6.25-ユギオ)の被害、そして5.16革命後の有実樹植栽を中心にした開墾などの受難にもかかわらず、今も40~50里に広がっている。これは茶樹の粘り強い生命力と、七仏寺及び双渓寺の僧侶達、お茶のために多く苦痛を受けながらも、お茶を大切に守ってきた土着住民のおかげである。

1100年余りを生きてきた誇らしい花開の茶樹を、慶尚南道文化財委員会が1983年8月2日、地方記念物第61号に指定し敬意を表した。